ヘルスケア × AIに関する考察と展望(2)
2025.02.13 Xia Ye

前編では、YCombinator企業の分布から見たヘルスケア領域の調達トレンドを踏まえて、医療領域におけるNVIDIAとOpenAIの野望と戦略、さらに今後期待されるAIの恩恵を紹介しました。後編の本記事では、デジタルヘルスの注目分野、そして医療AIの実用化と挑戦を見ていきます。

デジタルヘルスは本当に冷え込んでいるのか

CB Insightsでは、独自の基準で毎年デジタルヘルス企業を選定し、カオスマップにまとめて発表しています。2021年と2022年には150社ずつだったのが、2023年と2024年には50社に減っているところからは、デジタルへルスというサブセクターの冷え込みが見えると言ってよいでしょう。

一方で、AIの台頭で業界の再編が加速しています。パイオニアである上場企業のPear Therapeuticsの倒産やAkiliの上場後の株価低迷がありつつも、AIを駆使して次世代のコンシューマー体験をもたらしている企業は次々と現れています。なかでも注目したいのは次の4点です。

  • AIが今後、ヘルスケア分野のインフラになるのは間違いない。CB Insightsに選ばれた50社中6社がAI関連のプロダクト開発に取り組んでおり、保険請求処理のコパイロット(Alaffia Health)から、特化型医療用LLM(Hippocratic AI)まで、多岐にわたる製品が登場しています。この動きからは、AIがポイントソリューションを超えて、患者向けのヘルスケア提供の重要な一部となるという大きな変化の始まりが見て取れます。
  • 診断領域におけるイノベーション(Diagnostics Innovation)は依然として中心的なカテゴリ。特に診断用のイメージングは医療領域におけるAIの応用で一番クラシックな分野であり、2024年には画像診断(AIRS Medical)、病理学(Proscia)、非侵襲診断(Alimetry)などに特化した11社が選ばれました。これらAIを駆使した次世代診断技術は、検査の非侵襲性と早期発見を重視しつつ、検査をより身近でアクセスしやすいものにすることを目指しています。
  • バーチャルおよびハイブリッドケア分野の企業数は昨年の5社から11社に倍増。特にメンタルヘルス(Talkiatry)や癌ケア(Resilience)などの専門分野に特化したプラットフォームが増え、一般的な遠隔医療から疾患別のバーチャルケアモデルへのシフトを示しています。
  • ワークフローの効率化は2025年の優先事項に。19社が医療文書処理(Tennr)やアンビエントドキュメンテーション(Abridge)など、行政や臨床業務の効率化を進めています。この分野の自動化ソリューションの急増は、医療従事者の不足が続くなか、ヘルスケア機関が効率性を重視し、書類作業から患者ケアへのシフトを促進する動きを示しています。

CB Insightsによる、デジタルヘルスのカオスマップ2024年版。Adinistrative workflow optimization, Drug discovery, D2c health testing, clinical trials tech, price transparency, Diagnostics & imaging, Clinical intelligence, virtual & hybrid care の8分野に50のスタートアップが整理されている

(出典:”Digital Health 50: The most promising digital health startups of 2024CB Insights

CB Insightsによる、デジタルヘルスのカオスマップ2023年版。Clinical trial tech, Women's health, Patient monitoring, Revenue cycle management, AI protein & drug discovery, Workforce management, Clinical intelligence, Diagnosis & imaging, Care management & coordination, Virtual & hybrid care, Biomedical NLP, Data management & interoperability, Surgical intelligence, LLM development の14分野に50のスタートアップが整理されている

(出典:”The Digital Health 50: The most promising digital health companies of 2023CB Insights

CB Insightsによる、デジタルヘルスのカオスマップ2022年版。Care coordination & collaboration, Clinical intelligence, Home health & wellness, Computer-aided imaging, Interoperability, data, & analytics, Digital front door & patient engagement, virtual care, Screening, monitoring, & diagnostics, Digital therapeutics, Digital pharmacy & DME, Workflow automation & digitization, Clinical trials tech, Hybrid care, Revenue cycle management の14分野に150のスタートアップが整理されている

(出典:”The Digital Health 150: The most promising digital health companies of 2022CB Insights

AIを駆使したデジタルヘルスの領域では、広義でのコンシューマーヘルスの投資機会に注目しています。たとえば、a16zは過去のブログで「将来、世界最大の企業は消費者向けのヘルステック企業になる」との観点を明言。現在、AppleやGoogle等のGAFA企業がヘルスケア分野に積極的に進出しているものの、ヘルスケア業界のシステム全体が複雑であることから、最終的には消費者中心のネイティブテック企業(consumer-obsessed, healthcare-native tech company)が登場してヘルスケア業界を制覇すると予測しています。

その代表例が、心理学をAIに実装した独自の基礎モデルを作っているSlingshot AIです。現在のAIモデルはユーザーの質問に答えることが得意であり、コーディングの支援やカスタマーサポートの質問対応には向いているものの、心理療法における患者とのやり取りができるレベルにはありません。同社はその実現を目指して独自のモデルを開発し、2025年の年明けにはa16zから出資を受けました。今後、コンシューマーネイティブのヘルスケアテック企業がデジタルヘルスの概念を覆す可能性は多いにあるでしょう。

医療AIの実用化と挑戦

実用化

前編でYC企業とAI巨人たちの事例で多少感覚をつかんでもらえたと思いますが、AIの実用化は主に以下の領域で期待されています。

  • 医療診断と画像解析
    がん、肺炎、腫瘍等の疾患を検出するためにAIが医療画像を分析します。人間の専門家に匹敵し、条件を明確にすれば人間を超える精度を達成できるケースもあります。例を挙げると、乳がんや前立腺の診断に重要な放射線診断向けに承認されたAIプロダクトが国内外にいくつかあります。一方で、複雑性が高いケースでは人間の判断を挟んで個別に判断する場面が多いため、誤診のない完全自動化診断の実現にはまだ時間が必要です。そのため、現時点では画像診断AIの実用化は主に人間を補助するポジションです。
  • 個別化医療(personalized care)
    AIが個々の患者データを分析し、遺伝情報、病歴、ライフスタイル要因に基づいて個別に治療方法を調整します。AIの実装で期待できるのは、治療効果の向上や副作用の軽減です。その代表例が個別化医療の診断とDNA分析にAIを活用する23andMeです。同社はユーザーの唾液サンプルから個人のDNAを取得し、特定の薬剤に対する遺伝子構造の反応に関する情報を提供しています。対象薬物には、血液をサラサラにする薬、胃酸逆流を緩和する薬、乗り物酔いの薬、コレステロールを下げる薬などがあり、これらが検査の結果報告書に記載されることで、副作用のリスクの高さや、効果が低下する可能性を個別の患者に提示できるようになります。
  • 医療現場のオペレーション管理
    患者対応のフロー、資源配分、管理業務の最適化は、病院の運営効率の向上にも寄与すると期待されます。AIを活用したアラートシステムが健康リスクを予測することで、早期介入が可能になり、患者に対するケアの質が向上します。

バイオテック関連では次のような例が挙げられます。

  • 創薬(Drug Discovery)
    AIが膨大なデータセットを分析して医薬品候補を特定することで、医薬品開発を加速させています。さらに上流では、生成AIで分子を合成し、合成物を設計するなど、AIの導入で新しい薬の卵になりうる段階の開発スピードも著しく高まっています。たとえばInsilico Medicineのような企業では、生成AIを使用して分子を設計し、臨床性能を予測することで、開発期間を大幅に短縮しました。一方で、臨床試験の段階に入ると、動物や人間の体を使って薬の効果をテストするプロセスは従来と変わらず、そこにかかる時間とコストがAIの力でどれほど短縮できるのかはまだ探索の途中です。
  • タンパク質工学と合成生物学
    複雑な遺伝子相互作用をシミュレーションして、より効率的な合成微生物を設計します。実用化の例にはバイオセンシング、薬物送達、バイオ燃料生産などがあります。
  • ゲノム解析
    ゲノム配列解析を加速し、遺伝データの解釈を改善します。これにより、より正確な疾病予測と個別化された治療計画が可能になります。
  • バイオテックの製造
    AIがデジタルツイン、菌株設計、発酵プロセスの最適化を通じてバイオプロセスを最適化し、バイオ医薬品やその他のバイオテクノロジー製品の生産性を高めます。

挑戦

医療の現場では日々大量なデータが生成されていますが、実際に研究開発に使えるデータはほんの一部です。AIのモデルトレーニングに使えるデータに絞ると、データ量はさらに縮小します。医療AIモデルトレーニングの進化とAIの実用化にとって、データの可用性(availability)が最も大きなボトルネックといっても過言ではありません。

  • データのクオリティとアクセス性
    医療データは複数のシステムやデータベースに分散しており、情報の断片化や不一致がよく発生します。医療機関やEHRシステムが異なるデータ形式やコード体系を使用しているため、医療データの統合は極めて困難な状態です。日本の場合は、現在国の主導により医療データのデジタル化管理が進んでいます。アクセシビリティのハードルがどんどん低くなると、AIの実装にとって大変な朗報となるでしょう。
  • データサイロとシステム間の共通性の欠如
    データサイロとは、互いに分離され、社内の他部門、他部署からアクセスできないデータストレージおよび管理システムのことです。データの独立性やプライバシーを保つうえでは一定の優位性があるものの、ほかのシステムと連携が取れずにいると分断された状態になってしまいます。こうした異なるプラットフォームやシステム間での相互運用性の欠如により、データ共有や統合が妨げられるだけでなく、利害関係者間の情報交換もスムーズに進みません。
  • プライバシーと規制順守
    医療データはHIPAA、HITECH、GDPRなどの厳しいプライバシー規制の対象です。これらの規制に準拠することが、AI開発における個人健康情報の収集と利用を複雑にしています。さらにAIアプリでのデータ利用についてのインフォームド・コンセント(Informed consent、説明を受け納得したうえでの同意)の取得は、特に二次分析のためにデータを再利用する場合に必要になるものの、一筋縄ではいきません。またデータアクセスの利便性と患者プライバシーの保護はトレードオフのようなセットであり、そのバランスをいかに取るかも重要な課題です。

従来の臨床診断のプロセスは1対1であり、同じ疾患でも診断と治療の結果は人それぞれです。特に複雑な疾患の場合、最終的な情報交換の形態はやはり人と人のコミュニケーションに依存しています。つまり、医師、コミュニケーションの方法、そして患者の情報収集力によって結果は大きく異なります。

医師による臨床判断はそれぞれの知識量、経験や意思決定のプロセスなどによって左右されるため、定量化が極めて困難です。一方で、(現時点で最新の)AIのアルゴリズムに医療関連の判断を任せると、確度の低い解釈もしくはあやふやなロジックに基づく回答が提示される可能性があり、必ずしも医師が直感的に理解できるものではないでしょう。この部分にこそ、医療のAIモデルが医師にとって本当に使えるレベルになることの難しさを感じます。

人の命を救うというプロセスでは、患者とその家族のあらゆる面に気遣いが求められ、それは身体面ではもちろん、精神面での配慮も欠かせません。現在のAIモデルはまだそこまでに及びませんが、それが可能になる日が近い将来に来るのではないでしょうか。

参考資料: