「史上最速ビリオネア」のサム・バンクマン・フリードを追ったマイケル・ルイスの最新作『Going Infinite』
2023.12.25 Miwa Seki

マイケル・ルイスの最新作を読んだ。アメリカで出版されたのは2ヶ月前の2023年10月。邦訳はまだ出ていない。今回の主人公は破綻した仮想通貨取引所FTXの創業者、サム・バンクマン・フリード(SBF)だ。

著者のマイケル・ルイスはノンフィクション業界の大御所作家である。著者『マネー・ボール』がブラッド・ピット主演で映画化され、一般の人たちにも名前が知られるようになった。その後、『ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟』ではアメフトの黒人選手と彼を支えた白人家族の物語を描き、こちらも『しあわせの隠れ場所』として映画化され主演のサンドラ・ブロックはアカデミー賞に輝いた。だが、彼がその本領を発揮するのは金融モノである。デビュー作の『ライアーズ・ポーカー』ではバブル期のソロモンブラザーズで働く伝説のトレーダー達を描き、『世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち』では住宅バブルの崩壊を見越して空売りを仕掛けるヘッジファンドのマネジャーを描いた。こちらもクリスチャン・ベール主演で『マネー・ショート 華麗なる大逆転』として映画化されアカデミー賞作品賞にノミネートされている。

マイケル・ルイスが初めてSBFに会ったのは、ある起業家の友人から「対面してみて、どんな人間かを教えて欲しい」と頼まれたからだ。初対面のSBFはルイスに対して、自分の築いた仮想通貨の取引所についても、その取引所が生み出す富についても自慢するでもなく淡々と説明した。どんな質問にも自然体で淀みなく答え、他人の言葉にも興味を持って耳を傾けていた(ように見えた)。ルイスは友人に「大丈夫、うまくいかないはずがない」と太鼓判を押してしまった。しかし、「彼が何者かをまったくわかっていなかった」ことに気づくのはそれからしばらく経ってからである。

マイケル・ルイスはジャーナリストではない。調査報道の手法で事実の裏を取ることはしない。ただ空気のように気配を消して取材対象を観察し、その話を聞き、周辺の関係人物複数から逸話を拾い集め、彼のフィルターを通して群像劇を紡いでいくのがルイスのスタイルだ。ルイスが書籍のネタにするのは、いつも世の中からはみ出したとんでもない人たちである。SBFはルイスにとって格好のターゲットだったに違いない。SBFはフォーブスによると「世界最速で最も多くの富を生み出した」起業家だったが、お金に興味があるわけでもなく、いつもTシャツに短パン姿で仕事以外のほとんどの時間を(仕事中も)ゲームに費やし、寄付するために稼ぐのだと公言していた。

効果的な利他主義(EA)のムーブメントにはまった若者たち

普通は「稼いだ中から少し寄付する(または寄付しない)」。効果的な利他主義者たちは、「寄付するために稼ぐ」。世界のために自分にできる最大限のいいことをしなければならない、と彼らは考える。そのためにはたくさん稼いでたくさん寄付しなければならない。効果的な利他主義者にとっての「いいこと」の大きさは幸福にした人の多さと救った命の数で決まる。最大多数の最大幸福を追求するためには、目の前の小さな犠牲は(それほど小さくない犠牲も)払っていいものとされる。そしてそのいいことを「効果的に」つまりコスパよく行わなければならない。効果的な利他主義(EAと呼ばれている)の根底にあるのは功利主義と合理主義である。

EAの理論的支柱でありこのムーブメントの中心人物となったのは、ウィリアム・マッキャスキル。史上最年少でオックスフォード大学の准教授となった哲学者だ。マッキャスキルとの出会いを通して、SBFは効果的な利他主義者たちとつながり、そのグループから才能ある人たちを自分のベンチャーに引き入れていった。

「僕ら世代の一番優秀なヤツらはトレーディングやってるか、広告のクリック数を予測してるかどっちかだ。それって悲しくない?」とSBFは言う。そんな彼はEAのムーブメントに大義を見出した。EAのコンセプトを通してSBFとその仲間たちが世界を理解する様子がこの本には描かれていく。トランプの台頭で民主主義が脅かされていると感じたSBFらは、政治家への寄付を通して選挙に介入しようと試みたりもする。最大多数の最大幸福に繋がるのなら、カネで票を買うこともいとわない。

人類の存亡を揺るがすような危機に対処するには、無限のカネがいる。核戦争、コロナを超える感染症の流行、AIの脅威など、解決すべき課題を挙げればきりがない。「いくらもらえたらFTXを売って、金儲け以外のことをやる?」と聞いたルイスに、SBFはこう答えた。「1500億ドル、でもまあ無限かな」。何度かKindleを見直したが、”One hundred and fifty billion dollars” と書いてある。1500億ドルと言えば20兆円くらい? 頭がバグって計算できない。見間違いでなければ、アルゼンチンやフィンランドの国家予算並みの金額だ。それでもまだ足りないらしい。本書のタイトル『Going Infinite』のもとになったのが、この「無限を目指す」というSBFの言葉だった。

サム・バンクマン・フリード

SBFはただの大人子供か、それとも悪意ある詐欺師か

ルイスは、FTXが破綻しSBFが逮捕されるまでのほぼ2年にわたって、SBFが住んでいたバハマを何度か訪れ、本人と彼の取り巻きに話を聞いていた。破綻前からおそらくSBFの面白すぎるキャラクターに目をつけて、新しい書籍のネタを仕入れていたのだろうと思われる。

ルイスは本書でSBFを、悪人ではなくただ途方もないインパクトを世の中に与えたかっただけの「大人子供」として描いているように見える。SBFは仮想通貨やそのコンセプトに興味があったわけではなく、未成熟な仮想通貨市場のギャップにつけ込むことが「無限大」の富を創造する早道だと気づき、そこに集中しただけだった。ただし彼にとって大切なのはお金そのものではなく、それがもたらす世の中へのインパクトである。だが、最大限のいいことをしたいという極端な欲求とは裏腹に、他人の気持ちには無関心で共感とは無縁である。むしろ、ありったけのカネをばら撒いて友達を買っているように見えてしまう。

ネタバレになるので詳しくは書かないが、この本にあるFTX破綻後の資金回収の記述を信じるならば、FTXは破綻状況になく、誰もお金がどこにあるのかわかってなかっただけのようにも読める。ルイスはどうやらSBFに同情的に見えるが、世間と陪審員はそれほど甘くなかった。

FTXの破綻後、クシャクシャのアフロっぽい髪にTシャツに半ズボンのSBFの姿がテレビを賑わせ、彼が仲間たちと一緒にバハマの御殿のような家に住み、ガールフレンドに投資子会社を運営させ、顧客の資金を流用していたと報じられた。2022年12月逮捕された直後に2億5000万ドル(330億円)という頭がクラクラするような保釈金を支払って拘束を解かれたことで、世間の反発は一層強まった。投資子会社を運営していたガールフレンドは有罪の取引答弁を行い、2人の共同創業者も早々に検察と取引をして有罪を認めていた。最後まで無罪を主張したのはSBFただひとりだった。過失があったことは認めたものの、誰かを騙したり奪ったりする意図はなかったと主張していた。

SBFの罪状は重すぎるのか

SBFに有罪の評決が下ったのは2023年の10月、本書の出版とちょうど重なるタイミングだった。5週間にわたる裁判のすえに、7つの罪状すべてにおいて有罪とされたのだ。量刑の判決が下るのは来年3月とされるが、すべての罪状において最長の刑が下されたとしたら、115年もの懲役になると言われる。

この評決をセラノスのエリザベス・ホームズの時と比べてみると、SBFに対する陪審員の厳しい姿勢が浮かび上がる。セラノスは「たった一滴の血液であらゆる種類の検査ができる」と謳って投資家と世間と患者を欺き数億ドルの資金を調達した。自社開発の遅れを隠すため、他社の医療機器を勝手に改造し、採血した血液を薄めて、「星占い程度の確かさ」でしかない検査結果を患者に送りつけていた。投資家を騙しただけでなく、患者の命を危険に晒したのである。エリザベス・ホームズの裁判は、エリザベスの妊娠と出産を挟んでおよそ3年の長きにわたった。そして起訴された11の罪状のうち、陪審員が有罪の評決を下したのは4件。4件は無罪とされ、残りの3件は陪審員の合意に至らず評決なしとされた。その後の量刑判決で下された刑期は11年だった。

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大人たちの責任

本書ではSBFと経営陣は世間知らずな子供たちとして描かれる一方で、お目付け役として雇われていた大人たちはカネの方にしか興味のない寄生虫のように描かれている(ように私には読めた)。セコイアを含む一流VCから20億ドルもの資金を調達し、想定企業価値が約4兆円を超えていた巨大スタートアップの中にはまったくガバナンスのガの字も存在しなかったばかりか、日々のお金の出し入れさえ管理できていなかったことがこの本を読むとよくわかる。本書に登場する唯一の大人は破産管財人となった弁護士で、この破産管財人をして「これほどガバナンスのない会社はこれまでに見たことがない」と言わせたほどだ。従業員が何人いるのかも誰も把握できておらず、文字通り財布(ウォレット)からお金を抜き取って知らん顔することが誰にでもできる状態だった。実際に、盗まれた金額は数十億ドル規模にのぼるかもしれない。

私たちMPowerはESG重視型のベンチャー・キャピタルファンドとして、投資したスタートアップにESGを実装することに務めてきた。2年余り走ってきて改めて感じるのはガバナンスの重みである。ガバナンスがぐちゃぐちゃな会社はいずれ破綻する。起業家は投資家に言い訳はできても、自分を騙すことはできない。そのツケが破綻ならまだいい方で、最悪の場合は長い間牢屋に入ることになる。SBFも自分が犯罪者になるとはまったく思っていなかったはずだ。そして私たち大人の仕事は、起業家を犯罪者にしないことだと思っている。ガバナンスは顧客や投資家のためというより起業家自身を守るために存在するのだと、本書を読んで改めて感じたのだった。

関連書籍

『Going Infinite』を面白いと思われた方は、以下を合わせてお読みいただけると一層楽しめるはずだ。

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    ・『Bad Blood』 ジョン・キャリールー著 関美和訳 文藝春秋