ヘルスケア × AIに関する考察と展望(1)
2025.02.03 Xia Ye

2024年にMPowerチームはヘルスケアの分野で2件の投資を行いました。遺伝子・細胞製剤の商用品製造受託を手がけるサイト・ファクトと、急性期医療のDXおよび医療データの活用を通じて医療現場の効率化と質の向上を支えるTXP Medicalです。

MPowerはファンドの初期からヘルスケアを重点領域とし、案件を戦略的に幅広くソーシングしてきました。また、2023年初頭から続いているAIの飛躍的な進展が、世界中のベンチャーエコシステムを席巻しあらゆるセクターに影響を及ぼすなかで、ヘルスケアが中長期的にAIの恩恵を最も受けられる領域だと考えています。

本記事では、ここ最近のヘルスケア × AIに関するトレンドをまとめたうえで、2025年のヘルスケア領域における展望について書いてみました。感想やコメント等は大ウェルカムなので、夏(Xia)まで気軽にDMしてください。

YCombinator企業の分布から見たヘルスケア領域の調達トレンド

世界トップティアのアクセラレーターであるY Combinatorでは、最新グループの87%がAIスタートアップで、そのうち10社がヘルスケアに関連しています。下記の表にあるとおり、数のうえではB2B SaaSが依然として主力分野ではあるものの、2番目に数が多かったのがヘルスケア関連のスタートアップでした。

各企業の事業内容は以下のとおりです。

  • Asha Health、OpenClinic:AIクリニックの立ち上げや運営を支援
  • Helpcare AI:医療組織向けにAIの医療従事者(AIワーカー)を開発。医療スタッフの負担を軽減し、ケアを時短化
  • Astrix Health:膨大な医療データを生かして、最適な医療費を実現
  • HealthSpark、Ember Copilot、Docflow:医療従事者向けに業務効率化や臨床ドキュメントの自動化を支援
  • Chorrie:高齢者ケアを最適化
  • Reticular:AIによる脳神経疾患の診断や医療アクセスを改善
  • ShowAndTell:医療教育ツールを通じて臨床スキルの向上を支援

YCに選ばれたスタートアップ群には、バイオや先端医療等ディープテック的な技術のイノベーションが少ない一方で、AIとデータのパワーを活用してビジネスモデルの革新を目指す企業が多い印象です。医療現場でのワークフローの非効率性や、医師・看護師等と患者のペインに着目し、患者ケアの質の向上、医療リソースの効率化、医療従事者の負担軽減、そしてアメリカ特有の医療費問題の解決等を主な課題として捉えていると言えるでしょう。

(出典:Gravity

YC企業のほとんどが、いわゆる起業家が個人でゼロから立ち上げた会社です。そのため、初期段階から高額な先行投資を行って専門家やエンジニアを大量に雇うことは難しく、よりアセットライトのビジネスモデルでイノベーションを中心に展開する企業群が集まる傾向にあります。

ヘルスケア × AIの分野においては、1) GPUを含む高度な計算資源の確保、2) AIとヘルスケア両分野での専門性を持つクロスセクターの人材の獲得、3) そして患者と膨大なタッチポイントを持ち、大量のデータを収集・処理できる力が求めらます。そうなると無視できないのが、「巨人」たちの動きです。ここからはNVIDIAとOpenAIがそれぞれヘルスケア領域で持つ野望と戦略を見にいきたいと思います。

NVIDIAの医療分野での野心

NVIDIAの「野心」は、従来の強みであるGPUにとどまらず、バイオ医療とヘルスケア分野にも積極的に進出している点に表れています。GPUに関連する高度な技術を生かして、医療、創薬、ヘルスケア、画像解析、遺伝学などの領域に積極的に取り組み、生命科学の進歩を加速させています。

NVIDIAの戦略を一言で言うと、「Speed」です。GPUに加えて、AIの力で遺伝子解析、創薬、医療画像認識など多くの応用技術を生み出したこともまた、ヘルスケア研究開発のスピード向上に貢献しています。こうした応用には高い計算能力が必要であり、それこそまさにNVIDIAの得意分野です。たとえば同社のGPUとAI計算プラットフォーム「NVIDIA Clara」は、ヘルスケア分野の「スーパーアクセラレーター」のような存在で、研究速度を数倍から数十倍に引き上げられるといいます。

Nvidiaのヘルスケア領域における投資先およびパートナーが一覧になったマップ。Life science cloud, Medical device AI, Smart hospital AIの3分野ごとに、サービス名が整理されている

(出典:日本経済新聞「米NVIDIAのAI半導体ビジネス、次は医療を深掘り」)

医療画像解析の加速

医療画像の解析は、AIのヘルスケア領域で一番クラシックな実用事例といわれています。Claraプラットフォームは医療画像処理専用に設計されており、高い計算能力でCT、MRI、超音波などの医療画像を迅速に解析します。複雑な画像データの処理が数分で完了するため、診断の効率と正確性が大幅に向上し、患者はより早く治療プランを受けられるようになります。

また学術界と連携し、医療画像専用に設計された深層学習フレームワーク「MONAI」を開発。これにより、AI研究者や開発者が医療画像モデルをトレーニングし、臨床にAI技術を迅速に応用できるようになります。

ゲノム革命

ゲノムデータ解析の速度も劇的に高めています。NVIDIAの高性能計算技術を使用することで、従来のゲノム解析では数日から数週間かかっていたプロセスが数時間~数分で済むようになりました。がんや希少疾患の精密医療に大きな進展をもたらすと期待されています。

薬物開発と仮想シミュレーション

製薬会社や研究機関における新薬開発の加速にも役立つと予想されています。AIによる分子シミュレーションや仮想薬物スクリーニングを活用することで、数百万種類の化合物の潜在的な効果を迅速にテストできるため、膨大な時間と研究開発コストの節約が可能になります。この技術は現在、アストラゼネカなどの企業との協力により実現に向けて進んでいます。

デジタルツインと手術シミュレーション

Omniverseプラットフォームでは、人間の臓器のデジタルツインモデルの作成が可能です。医師は仮想空間で手術の予行演習や治療シミュレーションを行うことで、手術の成功率を向上できます。この革新的な技術により、未来の医療はより精密で個別化されたものとなります。

OpenAIの医療領域での投資

OpenAIは2022年にアーリーステージに特化した1億ドルのファンドを立ち上げ、さまざまなAI応用領域に投資を行ってきました。2024年6月時点では3社のヘルスケア関連企業(Ambience Healthcare、Thrive AI Health、Milo)に出資しています。

  • Ambience Healthcare
    Ambience Healthcareは医療従事者の負担の軽減とシステム効率の向上をミッションとするスタートアップです。2024年の2月に、OpenAIのスタートアップファンドとKleiner Perkinsが共同リードインベスターとして、同社のシリーズBラウンドに7000万ドルを出資しました。主力製品であるAutoScribeはリアルタイムで動作するAI医療記録ツールで、あらゆる臨床専門分野において包括的な記録を生成し、主要なEMRと統合する機能を備えています。

    医療データや記録の自動化の競争環境はかなり分散化しており、それなりにレッドオーションな分野です。Ambience HealthcareのほかにはAbridgeDeepScribe等が有力なVCに支援され、注目を集めています。国内では大手だとNTT東日本、スタートアップの場合コトセラAgathaが挙げられます。
OpenAIの投資先スタートアップ一覧。Developer tools, Enterprise workflow automation, Robotics & automation, Health & well-being, Data management & infastructure, Media & content creatin, Edtech の7分野ごとにサービスが整理されている

(出典:Analyzing OpenAI’s investment strategy: Where the ChatGPT maker is betting on AI disruption CB Insights

  • Thrive AI Health
    Thrive AI Healthは、2024年7月にOpenAI Startup FundとArianna HuffingtonのThrive Globalにより共同創業されました。同社が目指すのは、AIの力により一般の人が高度なヘルスケア指導を受けられる「医療コーチングの民主化」です。具体的には、睡眠、栄養、フィットネス、ストレス管理、社会的つながりの5つの主要な日常行動において、AIを活用してハイパーパーソナライズされた健康指導を提供するAI health coachを作っています。最近ネットで炎上したユナイテッドヘルス幹部の射殺事件などアメリカの医療費問題の深刻さは国境を越えて伝わってきていますが、こうした技術が近い将来に医療格差の縮小にも貢献するかもしれません。
  • Milo 
    Miloは、家庭内のスケジュール管理を支援するAIアシスタントを提供する企業です。忙しい親にとって家族の日々のスケジュールを把握・管理することは容易ではありません。同社はこの課題に対するAIソリューションを、現在ベータ版で月24米ドルで提供しています。2023年にOpenAIから出資を受けたほか、投資家にはY Combinatorも名を連ねています。

OpenAIはスタートアップに直接投資するほかにも、医療機関や新薬開発の研究所等、ヘルスケア領域におけるさまざまなステークホルダーとの連携にも積極的です。たとえば創薬の分野では、2024月5月にフランスのSanofi社との事業提携を発表。またColor Healthと連携してがん治療支援のAIコパイロットを開発し、診断の不足を特定して個別の治療計画を作成するツールを提供するほか、Lifespan Health Systemと協力して医療文書の自動化を進め、患者の医療リテラシー向上を目指しています。

健康保険の領域ではOscar Healthとともにコスト削減と業務効率化の実現に向けて、診療記録や保険請求の処理にOpenAIのモデルを導入し自動化を推進。さらに製薬大手Eli Lillyとの提携では、抗菌薬の研究開発を加速させています。これらの取り組みからは、OpenAIが医療分野でのAI活用を推進し、患者ケアの向上や研究革新に貢献していることがわかるでしょう。

Machines of Loving Grace』に見るAIの恩恵

AIに関する将来の展望について、2024年に読んだもののなかで最も「WOW」と感じた一編が、Anthropic CEOのDario Amondeiが書いた『Machines of Loving Grace』でした。「How AI Could Transform the World for the Better(AIは世界をいかに変革するか)」をテーマにさまざまな領域に言及されるなか、コアな内容はAIがヘルスケア領域、特に1) バイオ医薬・健康、2) 神経とメンタルにどのような影響を及ぼすかという議論です。

同記事によると、バイオ医薬および精神系疾患の治療と予防の大きな進展は、ごく少数の発見からもたらされたといいます。CRISPR、各種の顕微鏡、ゲノム解析と合成、光遺伝学、さまざまな感染症に対するmRNAワクチン、CAR-T等の細胞治療法などの発見が、人類の医療基準を劇的に引き上げたのです。そしてこのような革新的な発見にかかる時間は、今後AIによって大幅に短縮できると指摘しています。そのスピードは、50~100年分の発見が5~10年で達成できるレベルです。

がん治療や遺伝性疾患の予防、アルツハイマー病の解明が加速すると、個別化治療の開発や、がんの早期発見と予防も進むでしょう。また、CRISPR技術の進化により、遺伝性疾患の治療も大きく前進すると見込まれます。Amondei氏が唱えるのは「近い将来人類の平均寿命を150年まで伸ばすのは夢ではない」という大胆な仮説です。150歳までに生きたいかどうかは人ぞれぞれかと思いますが、これら医療の進歩がQOLを引き上げることは大いに期待されているのではないでしょうか。

後編では、CB Insightsのカオスマップをもとにデジタルヘルスの注目分野を解説したうえで、医療AIの実用化と挑戦について見ていきます。

参考資料:

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